「~♪」
窓の外を遠く見つめる翠の瞳の少女のどこか儚く物悲しい歌声が、黄昏の差し込む広い一室に響いては消えていく。
そこへ遅れて入室した一人の少女はそっと扉を閉めると、窓際に佇む若き主人へと物静かなトーンで声をかけた。
「アンジェは歌がお上手ですね。」
「・・・君がそれを言うのかい?」
気づき、振り返った翠の瞳の少女の金色の長い髪が黄昏を浴びて煌き、揺れる。
突然の声掛けに特に動じることもなく、落ち着いた様子で微笑み返すその少女の視線の先には、彼女に酷似した銀の髪の乙女が凛とした様子で立っていた。
薄暗い影の中で輝く物静かなダイアモンドの双眸とモノクロームの意匠は実に印象的で、それはまるで見る者を音無き白銀世界に誘うかのような閑寂の神秘性を湛えている。
「私はそういう存在ですので。」
"アンジェ"と呼ばれた少女は、容姿こそ酷似しているものの自分とは対照的な色合いを宿した銀髪の少女のきっぱりとした答えにふっと笑うと、もう一度窓の外に広がる黄昏の空に視線を移して感慨深そうに言う。
「そうか、僕がそう作ったんだったね。」
「はい。レンからはそのように伺っています。」
「はは、僕もだよ。シスカ。」
「残念ながら僕は覚えていないんだ」と言葉を続けて、"困った"といった表情で笑う翠の瞳の少女は、窓についていた片手を離すと、自身が"シスカ"と呼んだ少女の元へゆっくりと歩き始める。
「でもね、今でも歌は好きなんだ。何でも僕の子供の頃の夢は、歌手になることだったらしいよ。」
「その性質を私が引き継いだから、アンジェは今、歌手ではないということでしょうか?」
「あはは、それはちょっと違うな。たしかに小さい頃の僕の夢や憧れは君の中に移されたみたいだけど。
そんなことしなくとも僕はきっと機械生命工学の門を叩いていたはずだよ。
あぁ、どうぞ、座ってくれたまえ。」
儚げな容姿に似合わず、随分と男性的な口調で受け答えする金髪の少女は、影になっていた部屋の入口の扉側から同じような歩幅で歩み寄ってきた銀髪の少女、"シスカ"に向けて、近く、大きめのソファを指し示すことで着席を促した。
「ありがとうございます。失礼します。」
着席を勧められたシスカはアンジェに向かって丁寧に謝辞を述べると、彼女の細い手が指差すそこへ、ちょこんと静かに腰掛けた。
「どこか調子のおかしいところは?」
自分は立ったままシスカの頭へ両手を伸ばしたアンジェは、その銀の髪越しに彼女の頬へ触れると自身の小さな顔を近づけ、キラキラと美しい輝きを放つ目の前の少女の宝石眼を翠の瞳で覗き込む。
「網膜パターン照合、生体認証code002と一致。DC+=ALFの接続を許可します。
・・・特に、異常はないように思います。」
非常に機械的なアナウンスを発したかと思えば、その後は何事もなかったかのように先程までの物腰柔らかな口調へと戻るシスカにアンジェが特に動じることはなく、当然のように会話が続く。
「うん、そのようだね。
新しい"舞台衣装"を試したからちょっと心配してたんだけど、特にショートしそうな箇所もなさそうだ。歌い心地はどうだった?」
網膜スキャンを終えてシスカの頬から右手を離したアンジェは、そのか細い手首につけた小さな機械端末上に高速に浮かび上がる小難しい文字列を何気ない顔で眺めながら小首を傾げる。
「概ね良好でした。ただ後方右列への音の反響率が少し…」
「あぁ、これか。たしかにちょっと出力が低いね。見映えに気を取られてやりすぎたな、あいつら…。」
「かもしれません。でも、とても綺麗でしたよ?お客様も喜んでおられましたし、カバーできる範囲でしたので私はこのままでも・・・」
「たしかに君の舞台はこの幻都、セクトマイノリアでの数少ない娯楽だ。
新たな視覚演出に力を入れるのは悪いことではないがね、それで君の動力確保に支障が出ているのなら本末転倒だよ。
ただでさえこの街での"機械種"の運用は難しいのだから、優先順位は間違えるなとあれほど言っておいたのに。」
「あとで会ったら説教だ」と息巻いてぷくーっと頬を膨らます翠の瞳の少女に向かって、キラキラと輝く白銀の宝石の双眸を細めたシスカは、精一杯の苦笑いを作ってみせる。
それに気付いたアンジェはふっと優しく微笑むと、
「君は気にしなくていいよ。」
そう言って銀の髪が揺れる少女の頭をぽんぽんと撫でてみせた。
「はい、今日の検診はこれでおしまい。
あぁ、そうだ、よかったら珈琲を淹れてくれないかな、シスカ。」
「はい、畏まりました。」
なぜか少しばつの悪そうな顔でそんなお願いをするアンジェの様子を不思議に思いながら、シスカは席を立って部屋の端の独立した一画、壁の向こうのキッチンへと入っていく。
「・・・アンジェ。」
「・・・はい。」
「これはいったいどういうことでしょうか。」
シスカの眼前にはちょっとした腐海の森ができあがっている。
昨日買い出して棚に綺麗にしまっておいたはずの食品や調味料の粉末が、どういうわけだかものの見事に散乱してしまっていた。
「いやぁ・・・ちょっとおなかがすいて・・・」
「そういう時は誰か呼んでくださいとあれほど申し上げましたのに・・・」
先ほどから目が泳ぎっぱなしのこの可愛らしい金髪の少女にはどうやら前科があるらしい。注意こそするものの特に怒ることもなく、テキパキとその場を片付け始めたシスカの後ろで、アンジェは継続してばつの悪そうな顔を浮かべている。
「えへ。ほら、シスカは大事な舞台の最中だったし。
レンでも呼ぼうかと思ったんだけど、急患入って忙しそうだったからさ。
たまには自分でやってみようと思った結果が、まぁ、これだ。
その、ごめんね・・・?」
「アンジェの頼みでしたら彼は喜んで来てくれると思いますが・・・。
まぁ、いいです。お怪我はありませんか?」
「ないない。今回はそこの粉を頭からかぶったくらいだよ。」
「あぁ、それで、お風呂上がりだったんですね。・・・っ!!」
「・・・?」
何かに気付いた様子で慌ててバスルームへと駆けていったシスカは、粉だらけのまま脱ぎ散らかされたアンジェの衣服が洗濯機に無造作に放り込まれているのを確認すると、深く溜息をつくのだった。